「対話」、と

1か月以上前、言葉が降ってきて考えたくなりました。

考え始めると、相当やっかいな相手でしたので

9月のカレンダーに「対話」という文字を目にしたとき

なんとなく厄介なんじゃ?と感じた方も多いはず。

 

提案しておいて、少し凹んだりしました。

解決のしようがあるのか。

お話にならないんじゃ・・・・・・。

 

そしたら、仕事のチームワークで大切にしたいこと、として

多くの方が探求、発信していて、

救われました!」

「人と人はちがう」というフレーズは時に人を救います。

違いを無くすって、しようとせざるを得ない状況って

もしあったとして、想像すると胸が苦しくなります。

これは私の見解、価値観です。みんなそれぞれ違います。

 

あと、

国や文化が違っても、不思議と同じ考えや習慣に出会ったりして

うれしくなることがあります。

「普遍性」というやつです。

これを確認しあった時って、「共感」しますね~

 

自信をもって言えることは、

わたしと価値観を同じにしなさい、と誰かに課すという感覚は

持ち合わせていないし

そういうつもりが、実は持ち合わせているよね、と指摘されたら

「あ、」

「やばい」

「みえなくなってたんだ」

と自身の振り返りに時間をかけます。

 

だから、「対話」について興味を持ち始めると

否応なしに自分自身と向き合う羽目になる。だからちょっと怖いし、

調子が悪いときは観ないほうがいいと思う。

 

いろいろな想定をしたうえで

自分に気持ちが向いてきたときに、なるべく

救いがあったり、そうはいっても難しいよ、わかってるけど、と

確認しながら話をしていきました。

ルービックキューブが、たとえ話として出てきました。

一面だけ揃えるためには、他の面がそろうのを気にしながらじゃなくてもいいし

揃えようとしている面の、真裏で起きていることは見えにくいけど

「対話」では、相手には見えないその裏側について

やっぱりこちらから伝えるタイミングが出てくるんです。

 

ただ見えないだけかもしれないから

「わたしは・・・・・」と相手に伝えてみるのって

勇気いりますね~

 

ハッピーエンドにならないかもしれなくても

伝えるだけ伝えて、その反応をうけとめ

「あ、同じことをかんがえていたんだね」

「あ、違うことをかんがえていたんだね」

「わたしと考えてることは違うけれど、その考え方もアリかもね」

 

確認の繰り返しで、コミュニケーションがラクになっていくプロセスは確かにあります。

価値観を完全に一致させることはそもそもできないし、やろうとしたら

関係性を深めるのが難しくなっていく。

 

もともと困難なことを、それでもお互いコミュニケーションとりたいなあ~と

チャレンジし続けているのが、人間なんだな、と

 

話を大きくする癖は、

わたし、やっぱり変わりませんね~(苦笑)

 

今日はありがとうございました(人”▽`)✯